「真理先生(根本敬)」を読んだ感想

まとめサイトからの孫引きになりますが、2ちゃんねるに最近「ダークサイドに堕ちたみつをが書を残すスレ」というスレッドがたったらしく、次の投稿にちょと感動してしまいまいした。

失敗したっていいじゃないか
所詮その程度だもの _____みつを

自分など”所詮その程度”と思えてしまえば 人間どれほど楽に生きられるかということなのですが、しかし とにかく、そうは思う事ができない故に多くの悩みが訪れます。 

所詮その程度

「なにほどのものでもございません」と謙虚を装いながら、まさか自分が”その程度”であろうなどとは考えてみる事もなく、常に何者かでありたい、ありたいと不遜にも願い暮らす日々の明け暮れ。

しかし考えてみれば、実は元ネタたる「にんげんだもの」自体、実は全く同じ事いっているのではないのか? と。 

これまで「くよくよするなよ」的な励ましの言葉だと思い、まあなるほどね…としか考えた事もなかったのですが「つうか所詮おまえはその程度なんだから」という、いきなりど真ん中を突きつけた、実はそもそもが”ダークな”言葉なのではないだろうか?

…と、そんなことを考えながら 図書館から借り出した 根本敬さんの本『真理先生』を読んでいたところ、奇遇にもというか、根本先生いうところの「わざわざの偶然」というものの効用か、根本氏なりの”相田みつを”解釈にふれたくだりが目に入りました。

人生とやらは、正に「人間だもの」に尽きるのである。あえて最終的に…とこんな言い回しをするが、とにかく最終的に相田みつをの言葉の数々は正しいのである。だが、それは山だの谷だの峠だの、或は荒波だのを超え老境に達した隠居が「その通りだ」と味わうべきものであり、ガキ、若い奴、「幾つになっても甘かぁねえ」と現役であり続ける者にはいらぬお世話である。

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