『粗にして野だが卑ではない 石田禮助の生涯(城山三郎)』を読んだ感想

「巨人にドラフト1位指名されるような人間が"雑草"を名乗るっていうのはおかしいだろ!?」

1999年、「雑草魂」を座右の銘として奮闘するジャイアンツ・上原浩治が、入団初年で新人王、沢村賞など輝かしい成績をおさめたのを苦々しく見ていた、たけし軍団 ダンカン(生粋のタイガース・ファン)の言葉である。

言いがかりといってしまえばそれまでだが、ある意味で屈折した庶民感覚を代弁した名言のように思えなくもない。 

それはさておき。

「粗にして野だが卑ではない」とは、第5代国鉄総裁 石田禮助の言葉である。

自らをマンキー(山猿)に例えた、明治生まれの豪快な男は、国会初登院の際に、代議士達を前にこのように切り出したという。

粗暴にして、口も悪いが、けっして卑しい事はしない。

まあ「偉くはないが、正しく生きてきた」と、それくらいの意味合いだろう。言葉面だけをみれば非常にキレイで、共感を呼びやすい文句ではある。

しかし、城山三郎による伝記を、前半は興奮しながら読みすすめ、後半は やや辟易しながら読み終えた後にまず思い出したのは、先のダンカンの言葉であった。

麻布中学校から東京高等商業学校(現一橋大学)にすすみ、三井物産で海外支店長を歴任しエリートコースを歩んだ男が、自らを”粗”だの”野”だのと名乗るというのは、ただの自己陶酔にすぎないんじゃないのか、と。

イケメン俳優が「学生時代は全然もてなかったっすよ」といっている感じ、というか、細い女の子が「最近太っちゃって…」とか言ってる感じっていうか、事実そう思いこんでいるのかも知れないけど、周りにしたらただの「嫌味」だよ、それ…という。

まあ、本人は本気でそう思っていたのだろうし、伝記内の言動・業績を鑑みても、私がケチをつけるような筋合いのものではない。 

それに、普通こういう書物は、経営論だの組織論だのといったものを獲得するために読むんだろうが、私の場合は、その人物の「キャラクター造形を楽しむ」的な部分がメイン。

石田禮助という現実に存在した個人の生き方・業績とはまったく別のところに私の評価基準があるんで、まさに言いがかりもいいところなんだけれども…。

「卑」ではないことは確かなのだが、日ごろ被害妄想を抱きつつ暮らす私のような人間にとっては、この石田さん、どうも 好感がもてなかった。

というかつまり、それが作者・城山三郎のテクニックってことなんだろうが、その「魅力的なキャラクター」に仕立て上げていこうと描いていく様が、どうも鼻についてしまい、イマイチのりきれなかった。

人間としての魅力だけでいうと、作中で、石田のライバルとして描かれる向井の方に惹かれるし、更に言えば「粗にして野で、かなりの部分、卑でもあった」田中角栄の方が数十倍面白いと思いますね。

なんか、孫をグリーン車に乗せるくだりから、がっかりしちゃったんだよなあ。

同じ列車に乗っても、子供達には絶対に1等車には乗せなかった(”1等は自分で稼いで乗りなさい”という)っていう景山民生の父親の方が共感できるなあ。

「さすがの傑物も孫にはだらしなかった」エピソードの一つではあるのですが…