『二十四の瞳』で知られる作家・壺井栄に『伊勢の的矢の日和山』という短編小説があります。
若くして亡くなったお祖父さんの墓にお参りするため、壺井さんとその息子さんが伊勢・志摩を訪れた際の話をまとめたもので、小説というよりはエッセーに近い作品。
おとぎ話のような情景とユーモアとが絶妙に交錯し、私の大好きな作品のひとつです。
ちなみに ↓こちらの「有峰書店新社」さんのホームページで『伊勢の的矢の日和山』全文を読むことができます。
小説・伊勢の的矢の日和山:有峰書店新社
イセのマトヤの ヒヨリヤマ。 この調子をもった言葉は、祖母の歌う子守唄であったと思う。祖母はそれを六十年間、ひとり息子と、やがて次々と生まれた十人の孫たちに語って聞かせたのだ。何百回、何千回、もしかしたらそれ以上くりかえしたかもしれぬ。 …
さて 先日。たまたま 伊勢・志摩地域をドライブする機会があり、その道中「的矢(まとや)」辺りを通過することになりました。
的矢といえば「イセのマトヤのヒヨリヤマ」で壺井栄が実際に訪れた まさにその場所です。これも何かの縁かと思い、的矢地区にある「日和山」の場所を調べて立ち寄ってみることにしました。
三重県 志摩市の的矢地域には「日和山」と名の付く山(丘)が2つあり、それぞれ「小的矢」「大的矢」と区別されています。
このうち、壺井栄の「伊勢の的矢の日和山」の舞台になっているのは「小的矢」の方になります。
「日和山(小的矢)」に行ってみた!
パールロードを伊勢方面から志摩方面に向かい、伊勢志摩ロイヤルホテルの交差点(的矢湾大橋北)で左折。
※上図はホテル「サンぺルラ志摩」さんが作成し、三重県市町村職員共済組合のページで公開されている「周辺ウォーキングマップ」を引用したものです(クリックすると大きな地図が表示されます)
南勢磯部道路(16号)から750号道路に入り、海沿いの道に出たら「名代的矢 かき料理の宿 いかだ荘 山上」さん方向への坂道を上ります。
「いかだ荘山上」さんを通り越して、さらに坂道を少し上ると、右手に墓地(磯部町的矢共同墓地)が出現します。※下の写真は坂道を登り切ったところで「いかだ荘 山上」方向に振り返って撮影したもの
石段の上が墓地で、ここが小的矢への入り口です。
この墓地こそ、壺井栄がお祖父さんのお墓を探した場所・・・
こんな看板もあります。
墓地に入って右手奥に、小高い丘があり こんもりと木が茂っています。
この丘の上が日和山(小的矢)の見晴らしの平地になっており、壺井栄はこんな風に紹介しています…
丘をぐるりと回りこむように小道を昇ると、一気に視界が開けます。
見晴らしには方位石も埋め込まれていました(レプリカ)。
山上は 壺井栄 言うところの「畳なら十枚は敷けない」せまい場所。
大人が4.5人も上ったらいっぱいになってしまう感じです。※奥は急に崖になっているので注意!
ちゃんと案内版もありました。
ちなみに、海の向こうに見えているのは、特殊漫画家・根本敬が『因果鉄道の旅(単行本版)』で紹介していた「W島」こと渡鹿野島。
日和山(小的矢)へのアクセス
伊勢・志摩方面から向かう方は、基本的には 車で行くのが一番無難かと思います(伊勢自動車道 伊勢西ICより40分程度)。
現場付近の地図(GoogleMAP)
現場付近の地図(詳細版)
※上図はホテル「サンぺルラ志摩」さんが作成し、三重県市町村職員共済組合のページで公開されている「周辺ウォーキングマップ」を引用したものです。クリックすると大きな地図が表示されます
地図の真ん中あたりの下部に「日和山(小的矢)」が記載されています。
宿泊情報 ホテル「サンぺルラ志摩」の詳細情報・予約スケジュールはこちらで確認できます
日和山(小的矢)の住所
現地には一応(小さな)案内板などはありますが、それほど知名度のある作品でもないので、通常の観光MAPなどで「日和山(小的矢)」の詳細な住所を掲載しているものはないようです。
カーナビなどで住所入力する際は、ひとまずの目標として、小的矢のすぐ隣にある旅館「いかだ荘 山上」さんを目指すのがおすすめです。
三重県志摩市磯部町的矢883-12
宿泊情報 「名代的矢 かき料理の宿 いかだ荘 山上」の詳細情報・予約スケジュールはこちらで確認できます
近隣に 公共の駐車場のようなものは見当たらなかったため、私は坂道下のスペースに路駐しました(的矢湾養蛎研究所のあたり)。