この記事では映画『飢餓海峡』を観た感想と、内容に関する疑問点をまとめています。
記事の目次
はじめに
内田吐夢監督『飢餓海峡』を見たワケです。
言わずと知れた、日本映画屈指の名作と評判の作品でして、邦画のオールタムベストテンなんかやるとTOP10にランクインしてくるようなそういう作品。
元々この作品を見ようと思ったきっかけというのは、伴淳三郎さんが目当て。
先日たまたま観てハマってしまった ドラマ『ムー』にて、徳さんというベテランの足袋職人を演じる姿がとにかく良かったので、他の作品も見てみよう・・・という。
物語のあらすじ
あらすじを、wikipediaから引用しておきます。
戦後まだ間もない頃のこと。北海道地方を襲った台風により、青函連絡船が転覆し多数の死者を出す事故が発生。
遺体収容にあたった函館警察は、乗客名簿に記載がなく、身元不明の遺体が2体あることを発見する。
同日。北海道岩幌町で街のほとんどを焼失する大火が発生し、同町の質店に押し入って大金を強奪したうえ、一家を惨殺して放火した強盗殺人放火事件が原因と判明していた。
函館署の弓坂刑事は、身元不明の二つの死体が質店襲撃犯3人のうちの2人であり、強奪した金をめぐる仲間割れで殺されたと推測する。同じ頃、青森県大湊(現むつ市)の娼婦・杉戸八重は、ふらりと現れ一夜を共にした犬飼と名乗る見知らぬ客から、思いがけずぽんと大金を渡されるのだが…
ということで、この”函館署の弓坂刑事”というのが伴淳三郎の役どころ。
苦言の前に率直な感想を・・・
まず、観賞後の率直な感想として「すげーな。」の一言。
全3時間に及ぶ作品長を全く飽きさせないんだけども、特にはじめの1時間は壮絶ですね。
圧巻は、青函連絡船が転覆して、海辺から漁師及び消防団といった人々が救出に向かうシーン。
奥の方から、トラックに乗った消防団(警察官)の一行がワーと押し寄せて、車から飛び降り海の方へと駆けていく。
カメラはそれにつけて横移動していくんですが、砂浜には同じような救出隊の大群が海に向けて今まさに飛び込んでいくところ・・・
これを1カットで見せきるというのは本当に力技ですね。思わず笑ってしまいました、凄すぎて。
相米慎二の『ションベンライダー』も凄まじい長まわしでしたが、あれをもっとゴージャスにした感じといえばいいでしょうか?
鑑賞後の疑問点
さて、まあ、そういうことで面白い作品ではあったんですが、その反面、腑に落ちないというのか合点がいかないというのか、観賞後モヤモヤとしたものが残ったのも事実で、その辺をメモ書きしておきたいと思います。
なお 以下の文章では作品の内容に触れていますので未見の方は読まないでください。
土葬にする必要はあったのか?
青函連絡船の事故後に発見された身元不明の2死体。
なにか腑に落ちないものを感じた弓坂刑事は、後日再調査が可能なように、この2死体を土葬にするというくだりがあります。
これ、結局あとでその死体が質屋襲撃犯人の沼田と木島じゃないか ってことで再度掘り起こして確認することになるんですが・・・
つうか、写真でよくねえか?
水死体の写真をとっときゃそれで済んだ話じゃないのか…という。
前半の弓坂はまぬけ過ぎないか?
前半部分なんですが、弓坂がなにかやっているようでいて、実は一切推理とかしていないという(笑)
近隣の島に流れ着いた逃亡者たちがそこで焚き火をした・・・というくだりがあって「(焚き木になる)ボートをどうやって崖上まで引き上げたのか?」ってことを 弓坂が想像するんですね。
「ボートは重いから崖上まで引き上げるのには3人の力が必要になる。だから3人は一緒に行動をしているはず・・・」という、まあ 勘違いの元になるシーケンス。
ところが、後日、実際にその島にたどり着いたのは犬飼(三国連太郎)一人らしい、ってことがわかった時の弓坂。
「犬飼なら1人でもいけるはずだ!」
ここは唖然としましたね。だったら、そもそもボートのアゲサゲとかどーでもよくねえか? という。
写真が届くのが遅いだろ
で、上記のように「3人組で行動している」という勘違いが、著しく捜査を遅らせることになるわけですが(聞き込みもすべて「3人組」前提で行っている)、質屋襲撃犯人の沼田と木島の写真が弓坂に届きさえすればその勘違いは晴れるような流れになっているわけですね。
ところが、この写真が さしたる理由もないのに 弓坂のところに届かない。
その間、弓坂は、大湊の色街をくまなく歩き回り、どうやら杉戸八重っていうのが鍵を握ってるらしい てんで滞在先の温泉まで出向いていたりするんですね。
事件後、少なくとも数日は経ってるわけだよね。
聞き込み捜査の決定的なブツなんだから、他をさしおいてもそれを届けろよ、という。 いくらなんでも 1日あれば届くんじゃないの?
杉戸八重が嘘をついていると 直感したのはなぜ?
質屋襲撃犯人の沼田と木島が既に死んでおり、犬飼一人が逃亡していると判明した後で、以前八重に尋問を行った際に、彼女が嘘をついていた、ってことを弓坂刑事は直感するんですが・・・
何で?
温泉に八重親子を訪ねて尋問した時点で、八重が知っているのは犬飼1人ということはわかって尋問していたわけで、その後 特別なにか新しい情報がもたらされたわけでもないのに、突然「直感」してしまうというのはおかしいと思うんですね。
「そういうことってあるじゃない」と言われちゃえばそれまでですがね。
なぜ、犬飼(樽見)の生家は未だに貧しいの?
今度は物語の後半部分。
刑事達が、犬飼(樽見)の過去を調べ上げ、その報告をするくだり。
犬飼の出身地たる村を訪れ、その生家を見たときに、そのあまりの貧しさに触れて 彼がこのような犯罪をおかしたのが理解できたウンヌン・・・というくだり。
貧困な家庭に育ったから、即、殺人鬼であってもおかしくない、という刑事の偏見にはこの際目をつぶるとして、しかし その刑事が訪れた際に「生家がひどく貧しかった」ていうのはどうなのか、と。
樽見は、既に成功していて 村に色々と寄付をするくらいの人間なわででしょ?
この期に及んで、彼の実家が「目を覆うような貧困」っていうのはいくらなんでもおかしいと思うんだよね。
どんなに自分が苦しい時でも 月に千円の仕送りを怠らなかったという 犬飼がですよ?
製粉会社かなんかが成功して3千万円だかを刑務者に寄付するのしないのという人間の生家が、未だにとんでもない貧困てのはおかしいだろう、という。
爪で本人確認ができたの?
これ、最大の疑問だったんですが、ラスト部分ですね。
八重が持っていたという犬飼の「爪」ね。
私、法医学とかに詳しくないんですが、当時DNA鑑定とかも無いだろうし 10年前とかに採取した「爪」で その本人を判断できたの?
ひとつ言えるんだけども、高倉健を筆頭に九州パートの刑事たちは、あまりに憶測で判断をしすぎだろう、という。
「○○だから××ですね」「▲▲ゆえに、■■になりますね」みたいな会話で、あたかも論理的に話を進めているように見えるんですが、よく考えるとおかしいだろ、という。
上記の「貧困な家庭に育ったから殺人も厭わなくなったんだろう」ウンヌンもそうですが「6尺ばかりの大男」だから「樽見=犬飼ですね」と確信してみたり、「八重が爪を持っていた = 爪が大きい = 大男の爪に違いない = 大男 = 犬飼 = 樽見」という信じられないような単純な空想を持って"物的証拠"としてみたり、やりたい放題だろう。
犬飼じゃない他の客の思い出として、八重が持っていた爪・・・ていう可能性とかは考えなかったのか?
まとめ
というわけで、映画『飢餓海峡』を観た感想と、内容に関する疑問点のまとめでした。
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