街で優越感に浸れるのは”年収●●●万円”のライン

こんにちは、10年前から年収が変わらない男・高田です(プロフィール)。

我々貧乏人というものは、日々小銭をジャリジャリさせながら500円損しただの、1,000円儲かっただのといったことを侃々諤々しているわけです。

1万円儲ければ1万円分の幸福が・・・10万円手にすれば10万円分の微笑がこぼれてしまう事実を鑑みれば、収入にその幸福度・充実度が比例するであろう事は、想像に難くなく「あ~、月に1億円くらいもらいてえな~」などと考えてしまう訳ですが、さにあらず。

年収と幸福度が比例するのは・・・

GIGAZINEが面白い記事を掲載しています([稼げば稼ぐほどハッピーになれるのは年収650万円まで、それ以上だと幸福感は収入に比例しない])。

プリンストン大学の調査により、世帯年収が7万5000ドル(約631万円)以下の人では収入と「喜び」や「満足感」といった感情は比例するのに対し、7万5000ドルを超えると「稼げば稼ぐほどハッピーになれる」というわけではなくなってしまうことが明らかになりました。

要するに、収入の額面に関して 最も喜びを感じるのは 年収650万円クラスの人間だ、ということですね。

逆に 年収がそれ以上になると 収入と幸福度が一致しなくなる、ということでもあります(※1)。

注意

※1:この記事が前提にしている「約631万円」という数字は、アメリカでの調査結果から導きだされた数値(7万5000ドル)が、この記事の書かれた2010年当時のレート(1ドル84円くらい)で計算すると「約631万円」だったところからきています。
当然ですが、この換算値はレートによって大きく値が変動するわけで、2019年7月時点(1ドル108円)だと「約810万円」に相当します。

ただし あくまで「短期的」な幸福度の話

ただし、このデータに関しては注意が必要らしくてすね。

今回の研究は「いまこの瞬間の幸福感」と「自分の人生全体を幸福と思うかどうか」という2つの側面を切り離して分析することにより、長い目で見た幸福度は高所得者であっても収入とともに上がり続けるが、日々感じる瞬間的な幸福度は、年収7万5000ドルを境に収入が増えても上がらなくなるという、興味深い結果を得ています。

つまり「人生」といった長期的視野に立って物事を考えた場合には、「多けりゃ多い方がいい」という真理はやっぱり成立する、と。

ただ、極極ミクロ的な部分、昼飯に何を食うかだの、週末をどう過ごすかだのといった事柄に関しては、年収650万円クラスの幸福度(満足度)が一番だ…ということのようですね。

財布の中身が気にならない生活

景山民夫のエッセーだったと思いますが「財布の中身を気にせずに買い物ができるようになった・・・」という文章に出くわして、胸を打たれた記憶があります。

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ここで言ってる「買い物」っていうのは、車やマンションといった高額商品のそれではなく、大根だのコロッケだの靴下だの・・・といった極日常的なものの事ですね。

一時、極貧の生活をしていた景山氏が、放送作家として売れはじめた頃の様子を、そのように表現していたわけです。

居酒屋に行く、1杯飲む、2杯飲む、もう一杯頼もうか、やめようか?財布の中身と相談する・・・そういう煩わしさから逃れられるっていうのは、やはり「幸福」の一種なんでしょうね。

「クラスが変わる」ということ

そして、おそらく年収が650万円を超えるということは「クラスが変わる」っていうことなんだと思います。

毎日の着るものもままならなかった人間が、ユニクロでセール品なら買えるようになった、と。

少ししたら 普通の品も買えるようになったし、さらに年収が650万に達する頃には、財布の中身を気にせずに、ユニクロに出向き 店で一番高いジャケットを羽織れるようになった、と。

が。

ここから先は、収入がどれだけアップしても、ユニクロにはもはやそれ以上の服は無い。

ならば、ここから先はルイ・ヴィトンのセール品からはじようか…っていう事なんだと思いますね。

例えば ルイ・ヴィトンではあるんだが"一番の安モノ"という「上の下」感覚。

傍目からは金持ちなんだけども、充足感がない、という残念なパターンですね。

ここからまた階段を上っていくというのは、金持ちにとってもやっぱりしんどいわけです。

フォアグラの味か、鶏肉の味か

以前、伊集院光がポッドキャストでいってた事なんだけども。

我々貧乏人は、いきなりフォアグラとか食わされても正直、味とかよくわからない、と。

Aのフォアグラ、Bのフォアグラ、Cのフォアグラと、食わされたところで「美味い」としか言えないだろう、と。

しかし、鍋用に スーパーの鶏肉でなく あえて、産地直送の高級比内鶏みたいなものを購入するとすれば、それは「すごく贅沢してる!」って感じがよく分かるんだ、と。

贅沢を噛み締められる…っていうわけですね。

その気持ちは凄く良く分かるし、今回のこのデータとものすごく密接した感情なんですよね、多分。

鶏口となるも、牛後となるなかれ。金持ちライフの充足感も「鶏口牛後」ということですね。

っつうか、650万を遥か見上げる私には縁のないお話ではありますが…。

などといいつつ、ネットに目を向ければ・・・

質問:都内で年収650万円 39歳 独身 男性 というのは普通ですか?安いですか?… ※YAHOO知恵袋より

A. 職種によりけりだけど、39歳で年収650万は申し訳ないけど少ないと思いますね。一人暮らしでしたらまあなんとかやっていける額だと思いますが

A. 650万の数字だなら、フリーターでの場合なら凄いことですし、逆に国会議員ならどういうこと?でしょうから。

A. ちょぴり少ないかも?? もう少し欲しいね、将来結婚して家でも買おうか〜なんて事になったら困るかも??

A. もっと少ない人いっぱいいますよ。(フォローになってない・笑)

弱いものたちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く。

更なる上へ 上へ と階段はどこまでも続いていくのでありました。

2件のコメント

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面白いリサーチですが、結局のところ、年収と幸福度というものは
比例なんてしません。幸福度調査で、上位にくるのは プエルトリコ、
コロンビアなど、経済的にあまりめぐまれない国が多いですし、
事実、それらの国の自殺率は高くありません。
年収という数字のヒエラルキーを情報として、意識することが多い
グローバル化された国々と、そうでない国々では幸福感にも 
違いがでてくるでしょう。
お金を持てば持つ程、幸福になれるというのは 欧米人なら
普通に持っている認識ですので、この調査結果は彼らにとっては
意外に感じられるでしょうね。

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KENさん、コメントありがとうございます!

>年収という数字のヒエラルキーを情報として、意識することが多いグローバル化された国々と、そうでない国々では幸福感にも違いがでてくるでしょう。

なるほど、たしかにそうですよね。
「年収(お金)」を幸福の尺度として考えること自体が、世界的に見れば決して一般的ではないということですね。 

紹介した記事のデータは、「すべての国に一様に適応できるようなものではないが」という注釈付き…ってことですね。 

まあ、一国内においても、意見の分かれるような話でありますが(笑)。 

お金ほしー。

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